
Israel Ministry of Foreign Affairs
砂漠の林檎

© Noam Chen (エルサレムのユダヤ人地区)
長旅に疲れ果て、目の前の光景に混乱し、今日一日のできごとに動揺し、憤懣が意志に反して少しずつ引いていくのを力ずくで引き留めようとし、エルサレムからわざわざやって来た目的を気にしながらも、ヴィクトリアは娘のリフカとふたり、今までにないほどおしゃべりしていた。
なにをしゃべったか、思いだせない。彼女を「母さん」と呼んだ若者がいつ出ていったのかも定かではなかったが、目はしっかり見るべきものを捕らえていた。
娘は、前よりいい顔をしている。子どもの頃にだって、こんなふうにきらきら輝いた目をしていなかった。それに髪を短くしたら、ずっと顔に似合って、とヴィクトリアはひとり納得していた。娘は──娘自身だった。女装した男のように肩幅が広すぎる服を着て、スカートとソックスをはいていた頃とは、似ても似つかなかった。
「あの街が恋しくはないの?」
「ときにはね。祭日のときなんか。安息日の食卓とか、ズミロット(特に安息日の食卓で歌われる賛歌)とか、サラ叔母さんの笑い声なんか懐かしい。でもここは、わたしに合ってるの。わたし、外で働くのも家畜も好きだし……母さんのことだって、しょっちゅう思いだしてるわよ」
「で、父さんのことは?」
さしこんできた夕陽に、ヴィクトリアはささやくように聞いた。
「父さんは誰にも関心がないでしょ。わたしのことなんかぜんぜん気にしてないもの。一日じゅう店にいて、本とお祈りばっかり。わたしは父さんの娘じゃないみたいだった」
「とんでもないことを。そんなふうに言うんじゃないよ」
ヴィクトリアはおびえた。本当だったから、おびえた。
「イェクティエルの息子と縁組させようとしたじゃないの。わたしが未亡人か身体が不自由な人みたいに」
「ほんとかい?」
「ふざけないでよ。知らないふりなんかして」
「話は、たしかにあったけど。聞いてたんだね。でも、縁結びは無理強いしないものなんだよ。それに、イェクティエルの息子は神童だし」
「一日じゅう穴に座ってるみたいな、青っちろい病気の神童じゃないの。それに、わたし、あの人が好きじゃなかった」
「なにを考えてるんだか。愛情がすべてだと思ってるのかね?」
「母さんは愛情について、なにを知ってるって言うのよ」
「なんてことを?」ヴィクトリアは苛立って、背筋をぴんと伸ばした。「ここじゃ、母親にそんなふうに口をきくのかい?」
「母さん、父さんを愛してなかったし、父さんだって母さんを愛してなかった」リフカは母親の抗議を無視して言った。それから、ふっと静まり返ったなかでことばを続けた。「わたし、家じゃ……いてもいなくても、どっちでもいい存在だった」
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